都市安全学(2015年度)

2015年10月28日(水)14:40~16:10
第1講 災害文化論


Q1:講義で災害が新しい文化を創り出すという話がありました。その災害の特徴とその後に作りだされた文化の特徴に何か関係性は見られているのでしょうか。
A1:講義を通して解説したつもりです。日本文化と西欧文化の比較で言うならば、自然外力を受容してきたのが日本文化であり、自然外力を克服しようとしてきたのが西欧文化と言えましょう。外力に対して永遠を求めずその場その場で再建するプロセス重視の考え方が日本には育ち、外力よりももっと堅牢な外殻構造を探求する考え方が西欧には育ったのではないでしょうか。自然に変化を与えるのが天為(災害)であったのが日本であり、自然に変化を与えてきたのが人為であったのが西欧という環境が文化を育てたと言えましょう。


Q2:朝廷や幕府の時代に統治していた為政者と現代の為政者の違いは何でしょうか。為政者自身のスター性でしょうか、それとも国民の地位向上によりリーダーへの評価が厳しくなったのでしょうか。
A2:違いは何でしょうね。現代の為政者は敵と味方を明確に二元論で分離し、それを利用して勢力拡大に励んでいるように見える気がしていますが。


Q3:自力で生きていけない人たちを国が援助すべきか、という調査の話がありました。日本が最下位でしたが、この理由として日本が他国に比べ貧富の差が小さく、本当に困っている人が少ないため、国の援助の必要性を考える人が少ないのではないかと思いました。
A3:日本がホモジニアス社会(貧富の差がない社会)と言われて久しいですが、最近はそうでもないと言うことが、徐々に認識されてきたようです。しかし、それに対する対応の方法はまだ日本社会では学習が進んでいません。他の人のためにという共助の心が、まだ不十分です。Donation(寄附)の文化が日本では根付いていません。必要ないと思っている人がまだまだ多いのだからでしょう。


Q4:災害が日本の文化や思考を作ってきたという考え方は凄く興味深かった。阪神淡路や東日本大震災のような大震災を経験してきた今、この経験を将来に活かすためには、経験した災害をどのように捉えていくべきなのであろうか。
A4:答えは人それぞれなのかもしれませんが、今の時点で現代を評価するのは大変に難しいことです。時代を微分してその微係数のみで将来の方向性を見つけるのが難しいように。20年後、今を振り返ってあのときああすれば良かったと思うのはそれに比べると比較的簡単です。積分値を眺めることに等しく、全体観は微分よりも積分で評価することが優しいのです。微係数のみの情報で自分にとり間違いのない意思決定は、これまでの経験(経験がなければ先人の知恵/歴史/思想史)に学ぶことです。その意味で、今回の講義が多少とも役立てばと思っています。
 東日本大震災はあなた方の世代にとり、原点となるべき災害だと思います。是非、これからのあなた方の研究活動や行動理念・思索活動に役立てて下さい。ちなみに、私の原点は1982年浦河沖地震です。


Q5:阪神淡路大震災によって、今までの安定した日本のあり方が、日本人によって全否定されてしまい成長しない。さらには不安定な社会にしてしまい家庭に対する打撃も大きく、日本が全体的に悪や、人のミス・不注意による不祥事に非常にシビアになって、救いの手を全く上げない国になってしまったと思った。
 地震による日本の経済において1995年の阪神淡路大震災の時に、経済成長は一瞬にして終わってしまい、以降、数年数十年は経済は良い方向に向いてはいないが、2011年の東日本大震災でも同じ道を辿っており、全く学習していない。災害時にだれが、どのような対策を執ることで、次の災害で良い結果が得られるのかが、今後の日本の経済の成功に繋がるだろうと思う。
A5:確かに、あなたの指摘にあることは、一面で(国全体の経済的側面という意味において)正しいと思います。その一方で、東日本大震災を経てもなお、個人の生活復興力は世界の標準から見ると、めざましいものだと私は思います。日本人の底力は世界に冠たるものであると私は評価しています。その源は教育であり、個人資産保有力にあると思います。国全体の力は確かに劣化しつつあると感じますが、個の力はまだ棄てたものではありません。


Q6:工学は幸せを追求する学問であるとの話であったが、功利主義と関係するのであろうか。根源的な疑問であるが、ベンサムの量的功利主義とミルの質的功利主義ではどちらの立場が優先されるのだろうか。
A6:功利主義も工学の目的を決定する一つの尺度ではありますが、功利主義ではない別の見方もあります。次回の講義で解説します。


Q7:日本経済は地震によって活性化するとあるが、米国の戦争は同じような要素なのだろうか。地震被害を低減することは経済を不活性化する行為であるなら、幸せを減らしてしまう行為にならないのだろうか。
A7:幸せを経済という一面で捉えると、そのような見方も可能かもしれませんが、災害の低減が一方的に経済を不活性化させるわけではないし、また幸せは経済的見方だけではないことに注意すべきです。関連して、戦争は地震と同様に経済を活性化させる幸せの要因なのかという、変化球的質問ですが、戦争はなぜなくならないのかという質問に置き換えて考えてみると、戦争は一部の層に莫大な利益をもたらすからなくならないのは一つの真実です。ではそれが幸せの要因かというと、もうお分かりですね。一部の人のみの幸せは、人類全体の幸せではありません。但し、ベンサムの提唱する量的快楽計算では、戦争は莫大な利益を生むのでそのトータルとしての量的快楽は一部の人のみの総和であっても、最大多数の最大幸福値を上回ることもあり得るでしょう。その時に、数値比較のみで意思決定するのは間違いであることは誰もが気の付くことです。その場合は、質的功利主義を優先させる必要があります。功利主義的考え方のメリットとデメリットを十分に把握した上で、功利主義を説くべきです。


Q8:地震や津波は大被害を生むけれども、経済や恵みをもたらすという考えは、和辻哲郎の「風土」の考えに似ていると感じた。
A8:和辻の「風土論」はヘーゲルの提唱した「歴史哲学(文化は東洋から誕生し、行き着く先は西洋である)」という「西洋至上主義」の考えに反発して論じたはずのものであるが、風土論じたいに文化優位性が色濃く出ており、内部矛盾しているというのが最近の解釈です。


Q9:日本と西洋との風土の違いを考えてみると、「男女の差別」についても、両者の考え方の違いに気づく。差別をなくすという考えは、欧米が進んでいると言われるが、この文化の違いに発祥するのであろうか。
A9:質問者は男女差別の考え方を日本と西欧の文化の違いに求めたのでしょうか。男尊女卑の考え方は、むしろ、西欧の専売特許であったと思います。日本の江戸時代などは、男女差はそれほど感じずおおらかだったと思います。現代日本でも、社会制度上、男女差が大きいですが(たとえば、終身雇用率や賃金格差などは確かにあります)、文化的には男女逆転していると思いませんか。メディア世界では女子の活躍度の方が高いと思いますし、大学生活比較をすると、女子の方が男子を色々な面で圧倒しています。最近は草食系男子が流行る文化ですし。


Q10:自然の豊かさによって権力者へのリスペクトが育たないという話があったが、近年の若者が政治へ無関心なのは、国・生活の豊かさが関係しているのではないかと感じた。
A10:それもあるでしょう。もう一つ忘れてはいけないこととして、小中高の初等教育において、生徒への興味が政治に向かないように指導している(文科省の指導要領によって指導させられている)という側面もあるように感じています。若いときから政治的色が付くことを恐れ、生徒指導は政治的にニュートラルであることを義務づけていますが、むしろ右系と左系の極端な振れ幅を示すことの方が、色々な考え方が世の中にはあると言うことを理解させ、一方向的な見方では世の中は見通せないことを初等教育の段階で学ぶべきだと思います。文科省はそれを避けているように思われます。


Q11:1995年以降、グローバル化の名の下に、日本の良さが消えてしまっているが、欧米化する日本に対し、明治期の哲学者(漱石など)が懐疑的に鋭く分析していた。当時の哲学を今、見直すべきなのかもしれない。
A11:昔に回帰すべきと言うよりも、その歩んできた歴史(思想史)を学ぶべきだと思います。経団連は大学に対して哲学よりも実学教育を求めていますが、一生モノの知識と知恵は、実学からは無理で哲学から学ぶことが多いと思います。


2015年11月11日(水)14:40~17:50
第2講 防災私論


Q1:現在の災害対策の背景にある哲学や経済学の概念を知ることが出来て面白かった。アマルティア・センが提唱した人間の安全保障という概念は、個人の肌間隔と一致した考え方でありながら社会全体としてみても良い考え方だと感じ、今後どのように災害対策に反映されていくのか楽しみだ。
A1:そのとおりですね。理念や価値観のレベルが高尚な人物の言葉は心に届きます。社会もそのようなレベルで動いていけば良いのですが、どうも違った力が働いているようで残念です。


Q2:リスク転嫁という考え方は、今回聞いた限りでは無責任な対応に思えた。しかし、リスクコントロールにも限界があるだろう。その時の対応としては認めざるを得ないのだと思う。自分としては、リスク転嫁は最後の手段であって欲しいと考える。
A2:リスク転嫁は責任転嫁と言われます。確かに失ったものをお金で解決しようとする安易な考え方かもしれません。お金で取り返しのつかない[人命]と[時間]については転嫁は本来あり得ませんね。これらを以下に救うかが、防災の真の取組であることを忘れないことが大切です。


Q3:最近、一つの分野だけでは社会の問題を解決することは出来ないとし、「理工学部」や「社会工学類」といった分野融合的な学問体系が増えている気がします。ある大学では「科学ではもう限界がある」として様々な分野の専門家を一つの建物に集合し、新領域を探ろうとするところもありますが、このようなことをどう思いますか。
A3:文理融合という考え方が大学でも流行っています。しかし、本当の意味で融合されているかというと、個々に集まり、ばらばらに研究し、報告書を一冊にまとめると言ったところが、本当のところではないかという気がします。私の師匠は「一人学際」ということをよく言っていました。人を集めるのではなく、自分自身が学際的になれと言うことです。そうすることで、初めて他の分野のことが理解できるようになり、融合が図れるのだと思います。


Q4:危険を平等化したり、国民が理不尽だと思わないようにするには、各個人がどのようなリスク環境にいるのかをきちんと認識する社会である必要があると改めて思いました。リスクを認識した上での選択であることを理解すれば、理不尽であるという感覚がなくなります。そのためには、公が啓発へのより良いシステム作りをする必要があると考えます。
A4:そうですね。リスク環境に関する情報を提供するのみではなく、正しく理解できるように教育も併せてしていく必要があります。また、選択肢も複数用意することも必要です。理解しても、その選択肢かないと、やはり理不尽と感じてしまいますから。


Q5:工学は目的に矛盾をはらんでいることが分かった。またモデル化するときに、現実とは違うということに注意すべきだと思った。PCAGステップを一人一人が実践していくことが必要だと思った。誰でも災害弱者になり得ることが分かった。地震災害では、地域ごとの対策が必要であることと思った。時間軸・因果軸・主導軸それぞれで多重対策をしていくことが重要と感じた。
A5:これからのあなたの研究、そして生き方に是非活かしていってください。


Q6:リスクという定義を間違えて解釈比較してはいけないという話であったが、リスクを間違えて使っている人が多いと思う。
A5:普段よく使う言葉だからこそ、誤って使いやすい言葉(重要キーワード)ですね。


Q7:災害はあらゆる局面が考えられるので、いくら多重対策をしても予測し得ないことが起こりそう。改めて、完璧な安全はないのだなと感じた。
A7:人間が災害を作り、育てているのです。人間が人間らしく生きようとすれば、必ず変化が生まれ、そこから新たな災害が生まれてきます。そのような循環の中に、我々は存在しているということを忘れないことが、重要だということですね。


Q8:私の専門は都市計画である。勉強や研究するときに「なぜ、この専門は文系科目と近いのだろうか、実験も全然ないし。」といつも考えていました。今日の授業で、この疑問が解決したと思います。工学は、人間社会との関係が深いです。特に、都市・建築という科目は人間の幸せを求めることが目的ですから、自然科学たとえば、生物学や数学とは違います。人間の幸せの研究は文系に近いです。だから、都市・建築は人間を対象として研究しなければなりません。また、工学の問題点として、認識論的・現象論的・統計学的不確実性がつきまといます。曖昧性をどう扱っていったら良いのかということも難しい問題と考えます。
A8:今日の講義で、今までもやもやしていた疑問が解決したでしょうか。工学、特に建築は幅の広い学問です。他の工学分野以上に学問的に広い世界です。難しい世界ですが、それだけチャンスも多いのです。あなたの興味の世界も広げていってください。


Q9:リスクマネジメントをする上で、認識と理解が重要であると学んだ。一方で、人間の心理として危険を認識しようとしない特徴があり、リスクの認識と理解が進みにくい。しかし、この人間の心理は年齢によって度合いが違ってくる気がする。歳を重ねるほど、認識しようとしない印象を受ける。だから、小さいときにリスクを認識させる(認識させやすい)ということで、幼児期における防災教育が有効とされるのだろう。このように年齢によるリスク認識の差があるとしたら、どの年齢にはどのようなリスクの認識のさせ方があるのだろうか。特に、中高年齢層へのリスク認識のさせ方を知りたい。
A9:リスク認識には年代格差があります。その特徴を活かした防災教育のあり方があるのではないかという認識の下、私の研究室の卒論テーマの一つとして調査研究を実施しています。高年齢層には、改めて自分自身の周囲を学び直そうとする意欲と時間的余裕があるようです。そこを狙った防災教育を考えています。


Q10:宗教とは「(紙の損竿を純粋に)信じること」。哲学とは「疑うこと」と講義であったが、キルケゴールは「死に至る病」への対処として、紙への存在を心から信じること、を提唱したが、これは上述の宗教的な考えに近いのではないかと感じた。ヘーゲルの影響をキルケゴールは受けていると思っていたが、ヘーゲルの思想とは最終的には対立していたのでは?
A10:講義の中で論理を組み立てる歴史について触れた事への質問と理解しました。講義の中ではキルケゴールやヘーゲルは出しませんでしたが、その当たりに興味を持っている受講生のようですので、若干のコメントを。
 ヘーゲルは対話者は対して対立議論をぶつけることにより真理に近づくと考えました。これを弁証法といいます。ただし、ヘーゲルは方法論については語っていますが、彼が考える真理については何も語っていません。それに対して、議論を続けてもいつまで経っても真理に辿り着けないではないかと、キルケゴールは異議を唱えました。真理に辿り着いていない今の自分たちの存在は無意味なのかと。辿り着けない真理よりも、この世に存在するものこそ真実であるというのが実存主義であり、それを唱えたのがキルケゴールです。


Q11:社会や都市が大きくなるほど自然災害の脅威が増すと寺田寅彦も述べていた。こういった極めて大きなリスクを持つ自称のマネジメントは、通常のリスクマネジメントと同様の取り組み方で良いのだろうか。
A11:LPHCの解決策の問題であり、今のところリスク転嫁しか糸口が見つかりません。あるいは、ハード予防で幾分かでも災害規模を小さくするか。但しこれだけは言えます。避難等のソフト対策のみでLPHCの解決策には対抗できません。あくまでも対策の基本はハード予防です。現今のわが国の対策が、ハード対策よりも避難重視に変わってきているのが非常に気になります。実は、ハード対策はインフラ整備に等しいものですから、お金がかかります。このハード予防にどれだけ投資するかは、政策決定者の判断によります。経済合理主義から判断すると、ムダにお金はかけるなと言う答えになるでしょうが、果たしてそれで良いものでしょうか。最適の判断は難しいのです。最後は意思決定者の価値観で決まってしまうものです。


Q12:建築に求められるものは安全・安心・福祉であると話があったが、震災以降流行のレジリエンスもこの流れなのだろうか。
A12:レジリエンスは「回復力」を意味する。それだけでは対策としては片手落ちです。「強化」を意味するロバストネスと対で対策が成立します。レジリエンスがソフト対策、ロバストネスがハード対策と区別しても良いでしょう。あるいは、時間軸でいうと「復旧~予防型対策」をロバストネスでくくり、「発災対応~(発災)~支援対策」がリジリエンスとくくっても良いでしょう。BCPでいうなら、被災による操業落ち込み具合がロバストネス対策で落ち込まなくなり、その後の総合回復時間がレジリエンス対策で早まるという図式で見ても良いでしょう。


2015年12月10日(14:40~17:50)
第3講 人的問題


Q1:現在、卒論で地震時の建物群の被害推定を扱っている。既往の研究では確率論的手法が多く用いられていて、個人的には少し理解するのが難しい部分がある。今日の授業の前半の人的被害推定において、確率論的手法を多く用いており、興味深かった。丁寧な説明があり理解が深まった。 W値を使うことにより死亡率の予測曲線が、実際の阪神淡路大震災の死亡率と相関が高くなっているのはすばらしいと思った。自分の卒論も精度の高い被害率予測曲線が導ければ良いなと思う。
A1:理解が深まったのなら講義のしがいがあるというものです。興味を持ったのなら、次のステップの研究のレベルに是非活かしてください。


Q2:講義の後半で紹介のあった音声による避難誘導システムは、源栄先生のよく言われるSHMへの応用も十分に考えら、防災の観点からも非常に有益と思えた。
A2:その通りです。ただし、SHMは一般にはStructural Health Monitoring(構造ヘルスモニタリング)のことを言います。私は、もう少し広い意味でモニタリングを考えています。Social Structure Health Monitoringです。イニシャルを取れば、これもSHMとなり、社会構造の健全性監視を意味します。


Q3:因果モデルを作ることで、来たるべき地震に対して人的被害の定量的評価を行っていて、すごいと思いました。その中で、確率的手法で、ベイズの公式を用いて、データが少ない場合でも定量的評価が行えることに感動した。
A3:我々人間の思考回路がそもそもベイズ流なのです。データを見るとき、我々は、データを1から10まで全て信じるのではなく、このような傾向があるなと思いながら眺めると思います。この傾向が事前確率であり、それを通してデータを理解しています。まさにベイズ流と言えると思います。研究は感動から始まります。頑張ってください。


Q4:死者数の予測をモデル化することは大変に難しいことなんだと感じた。建物の倒壊が死者発生に直結するという単純な関係にはならず、またその建物の種類も影響してくるだろうと感じた。しかし、死者予測の利用を考えると、けが人や死者の予測は大雑把なもので良いのかなと感じた。
A4:モデルで重要なことは、予測値(推定値)に経験則のみではない科学的根拠があるかどうかということです。その推定精度が、推定値の利用に耐えうるかどうかが議論されねばならないのです。


Q5:生死やケガの程度は周囲の環境や、自身の行動によって様々に変化する。家具で出来た空間のおかげで助かったという話は、東日本大震災でもあったことで、古い木造のような倒壊の恐れが高い家屋では、家具を止めないのも一つの予防ではあるのかなと思った。
A5:家具が転倒して安全空間が確保されるわけではなく、転倒するしないに関係なく家具の存在が安全空間を作った例があると言うことです。よって、家具を固定しないことで予防措置になるという考えには賛成できません。それよりも、家具は固定しても倒れてくる危険性は残っていると言うことを理解することが重要です。


Q6:トリアージタグで死傷者の優先順位をつけることで、危険な患者を救うことが出来る。しかしその順位を決める際に、ミスをしてしまう可能性はないのだろうか。もしミスが起きた場合、見直しが必要になり、トリアージタグの利用が見送られることはないだろうか。
A6:恐らくミスジャッジはあるとは思いますが、使用中止になることはないでしょう。トリアージは、それなりに有効に働いているのですから。


Q7:個人世帯の防災学で、世帯毎の家具数と負傷危険性の関係を表した関係式はとても身近なデータであり、誰もが興味を持つ知識と思われる。このようなデータ・グラフ・結果を、各家庭に公表伝授すると、家庭の防災力が高まると思う。
A7:その通りだと思います。私の講演会ではこの説明をよくします。ただ、グラフは簡単なのですが、それを導出する確率論が一般の人には難しく感じるようで、このような話は避けられてしまうようです。


Q8:周辺の全壊率が大きいほど、死者数の大きくなる。災害時には救急隊の受容も局所的に激増するので,回りの被害が大きいと、救助が専門家によって行われる可能性が減る。阪神淡路大震災では専門家の救助は全体の5%程度という話に驚いた。一般人も救命処置や災害に対する知識を持つことが大事と感じた。
A8:その通りです。救命のノウ・ハウは日本人の常識となって欲しいですね。


Q9:予測モデルにおいて、ミクロモデルは色々な要素を含んでいかなければならない。どこまでモデル化するか、何処までの正確さが求められ、どの要因を除いても良いかの取捨選択のスキルが、重要だと思った。また、個人への説得や説明にはミクロモデルは非常に有効であるが、逆に、大枠の予算や被害を把握したい行政などには、迅速に算出できるマクロモデルの精緻が求められる。誰に求められるモデルなのかという把握も重要であると感じた。
A9:その通りです。何のために評価(シミュレ-ション)するのか、と言うことを常に頭に置いておくことです。其れとは別に、研究的おもしろさも大切ですね。ミクロというかディテールに踏み込むことが研究の醍醐味です。


Q10:飛行機でも使用されているレコーダー用のブラックボックスのような、金庫部屋を建物内に設ける、地下室を設けるといった案は有効でしょうか。もし有効であれば、元々風呂場はユニット式を採用している家が多いので、風呂場を金庫部屋として設計するのはどう思われますか。
A10:そのような考え方の住居も実用化され初めて来ていますが、私としては、住居の部分耐震化はあまり賛成できません。そこに閉じ込められて、火災が発生したら、最悪ですね。生きたままの火葬は考えたくありません。


Q11:家具の危険性に関するシミュレ-ションはとても興味を覚えました。地震で負傷率が高い素因は、家具による被害です。震度や家具の転倒率や家具密度からの推測方法は信頼性が高いです。家具の配置にはとても意味があります。中国ならこのような詳しい分析が少ないと思います。今日勉強した事は参考になる研究と思います。しかし、中国の実際の状況を考えなければいません。中国家屋における家具は日本と違いがあり、その密度や固定する方法も違うと思います。
A11:災害は「地域性」により特徴づけられます。中国には中国特有の災害形態があるはずです。しっかり学んでいってください。



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